皆さん、こんにちは。今日も共にみことばに聴きながら祈りましょう。

 

詩編23篇はとても有名な箇所です。「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。」から始まります。今日はこの詩編の最後の節、6節のことばに聴き入りましょう。

 

「まことに、私のいのちの日の限り/いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。私はいつまでも 主の家に住まいます。」

 

この詩編は私たちの人生の旅路において、様々な体験があることを示唆していると思います。「死の陰の谷」や「私の敵」という表現が使われています。そのようなことからも主は私たちを守り抜いてくださることを示しているように思うのです。

 

しかし、そこで終わりません。そのような危険や危機から逃れることと同時に、主は私たちをご自身の「家」へと導かれるというのです。いつまでも、主の家に住まわせてくださるというのです。

 

この後の詩篇を見ますと、詩編30篇の冒頭までに、この「主の家」や主がおられる「住まい」という表現が度々登場することに気付かされると思います。詳細は割愛しますが、もしお時間が許されるならば、詩編23篇から30篇までをお読みください。

 

私たちにはこのように主の家に住まうことが可能とされています。たとえ、この地上では住まいを追い出されてしまうような状況があったとしても、私たちには帰る「家」があるのです。私たちのまことの羊飼いがそこへと導いてくださるのです。

 

今日はミャンマーのために祈りましょう。今も尚、大変な状況が続いています。主の平安がミャンマーの方々の心に満ち、社会の平静が取り戻されるように、引き続き祈りましょう。特に教会のために、教会が主によって強められ、みことばによって日々力と希望が豊かに与えられますように。そしてまことの羊飼いなる主イエス・キリストを大胆に証しし伝えていくことができるように、私たちも祈りましょう。

 

天の父なる神さま、今、私たちにできることは祈ることです。自分自身のことだけで精一杯かもしれませんが、私たちの関心も目を常にあなたに向けさせてください。ミャンマーにいる私たちの兄弟姉妹たちを今日もお守りください。どうか教会を守り、顧みてください。また、この日本におられるミャンマー出身の方々を守り導いてください。願わくば、この日本においても主イエスさまと出会うことができますように。まことの家へと導かれますように。日本の教会をも、豊かに用いてください。私たちを遣わしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

今日も一日、主の守りと祝福がありますように。